アレルギー徒然日記 「腫れ」時々「アニサキス」

アニサキスアレルギー、慢性蕁麻疹(血管性浮腫)、喘息を同時発症しました。他の患者さんの参考になれば幸いです。

発症後初の海外旅行④牛乳事件、翻訳アプリでアレルギー対応、チャム博物館

前回に引き続き、食物アレルギー・喘息発症後の初の海外旅行の続編です。

目次

1. 牛乳事件

ミーソン遺跡を見学後、ホイアンのホテルに帰着。 暑い中観光したため、喉が渇き、スーパーで購入した冷たい牛乳450mlを一気飲みした所、事件発生。

 

飲んでから約40分後、急に下腹が痛くなり、トイレへ。その後、2時間程、トイレから出られませんでした。冷や汗でびっしょりになりながら、ひたすら嘔吐と下痢を繰り返した。全て排出されると、腹痛も治まったが、へとへとに。だるさと熱っぽさの中、取り合えず部屋で様子を見る。

 

症状が続くようであれば、海外旅行保険で使える近隣のクリニックに行かないとだめだな思っていました。幸い症状は治まり、かゆみや腫れ、呼吸苦もなし、いつものアレルギー反応ではなさそう。翌日昼頃まで、ホテルでゆっくりすることに。

 

私は生乳100%以外の低脂肪乳やチーズを食べると、下痢、腹痛、かゆみが出ます。なので、通常は生乳100%の牛乳・低脂肪乳のみ、毎朝100cc位を加熱して飲んでおり、チーズも除去しています。

 

購入した牛乳は生乳100%、ベトナム中部のナショナルブランドなのですが、暑さで悪くなっていたのか、他の原因があったのか、ひどい消化器症状が出ました。

 

その時は「生乳100%にもアレルギーが突然出た? たくさん飲んだから? 加熱してなかったから?」と、反射的に思ってしまいました。順調だった旅行に、ちょっと「アレルギーの暗雲立ち込める」感じ。

 

他の食アレ患者さんも、お腹や皮膚の症状が出ると、「あれ、アレルギーきた?」と、ひやっとされることがあるのでは?と思います。私の場合、リラックスしていても、心の奥底では、「いつまた、突然アレルギーがやってくるかもしれない」と、臨戦態勢で構えている。

 

結局、体調は大丈夫そうで、予定通り、翌日昼頃にホイアンを出発し、車でダナンに戻りました。

 

2. 翻訳アプリでアレルギー対応

ダナンに戻った後も、体調が本調子でなく、調理する体力がありませんでした。そこで、ホテルの目の前にあるビーガンレストランを試してみることに。ホテル選びの際、もしもの時はこのレストランで外食できるかも、と考えホテルを選んでいました。

 

行ってみると、家族経営でほのぼのした感じ。現地の人や欧米人でテーブルは既に満席。お店の子供が注文・配膳担当。

 

ベトナム語の翻訳アプリを使い、アレルギーなので、塩・食物油以外の調味料なしで、野菜を食べたいと伝えました。

 

すると、厨房の家族に伝えてくれて、また翻訳アプリで、返答してくれました。何度も往復してくれて、「アレルギーで食べれないんだ、わかった!」と理解してくれました。「メニューにないけど、こういうメニューなら作れる」と、安全なメニューを提案してくれました。

 

家族用の通常のメニューも頼むと、「それは調味料がいろいろ入っているから危ない。大丈夫?」と心配してくれました。

 

私が「家族が食べるから大丈夫、私は食べない」と伝えると、「OK、よかった!」という感じ。

 

本当にいい子たちで、感動しました。結局、私は青梗菜、ナス、白米、空心菜等を頼んで、安全に食べることができました。

美しい青梗菜の蒸し炒め

家族が頼んだブンという米の麺

お会計の際、翻訳に奔走してくれた子供たちに、すこし多めにチップをあげました(ベトナムでは、欧米と違いチップは必須ではない)。

 

アレルギーを気遣ってくれた、子供たちの優しさに心も満たされ、幸せな気持ちでホテルの部屋に戻りました。アレルギーにならなければ、こういうベトナムの子供達の親切さに触れることもなかった。旅のよい思い出になりました。翻訳アプリも、外食のアレルギー対応に大活躍でした。

 

3. チャム彫刻博物館

翌日、体調も大丈夫そうなので、ダナンの中心にある、チャム彫刻博物館に行きました。この博物館は、かなりお勧めです。是非、十分な時間を取って行ってみて下さい。

 

  • 1902年に、フランス国立極東学院(EFEO)の考古学者だったアンリ・パルマンティエによって博物館の設立が提案された。
  • 1915年に建設、1919年に正式開館。100年以上の歴史がある。
  • チャンパ王国の彫刻・遺物が保管。多くがミーソン遺跡からの発掘物。ベトナム戦争時のアメリカによる爆撃を逃れた。
  • チャム族の人口は17.8万人(2020)。ベトナムの全人口(2023)が1億30万人で、その86%がキン族が占める中、チャム族は約0.2%と少数民族。その歴史や生活を知ることができる。

状態のよい古い遺物が、所狭しと展示されています。爆撃を逃れて、本当によかった! フランスの文化財に対する熱意は本当にえらい!

石で、この滑らかな曲線を出せるのはすごい技術

 

4. ちょっと波乱があった帰国

牛乳事件以外は何も起こらず、アレルギーや喘息の症状も出ず、無事に帰国の途へ。あ~、よかった!

 

ダナンは台湾や韓国の人に大人気の観光地です。なので、日本発着便より、台湾や韓国経由の方が、便数も多く便利。行きは、大韓航空でソウルインチョン経由。帰りはTiger Airで台湾桃園経由でした。

 

帰りの最初の便(ダナンー>台北)が1時間以上遅れた。乗り継ぎ便(台北ー>羽田)に間に合わければ、台北に数日宿泊になるかもという状況。お盆の時期で混んでおり、台北ー>羽田便の予約の取り直しが難しそう。休み明け直ぐに仕事の予定が入っている家族は、「運賃が高かろうが、何としても日本に帰る!」と言っている、まずい。

 

桃園空港到着後、猛ダッシュ。幸い、何とか乗継便に間に合い、羽田行に乗れました。

乗継便のすぐ後ろの席で、日本人の若い女性がずっと咳をしていました(マスクなし)。喘息・血管性浮腫持ちの私としては、風邪やインフル等で喉が腫れたり咳が出ると、症状がすごく悪化してしまうので、少し怖いなと思いながら、マスクをしていました。家族は、猛ダッシュ後安心し、マスクなしで寝てしまった。

 

そこで感染したか分かりませんが、家族は帰国後3日目に発熱、病院でインフルA型陽性が判明、自宅で部屋に隔離。私も少し症状が出ましたが、検査では陰性、軽く済みました。牛乳事件の影響で、お腹は1週間ぐらい調子が悪かったのですが、それも治りました。

 

5. 振り返り・感想

ひやひや、どきどきの、発症後初の海外旅行の感想です。

a. 食料調達・調理の時間とエネルギーを温存

発症前のように、長時間びっしり観光のスケジュールを入れるのは無理。

 

食料調達や調理には、時間もエネルギーも結構かかる。海外だと思うように食料調達できず、複数のお店に行く可能性もある。観光だけで疲れ切らないよう、時間とエネルギーを温存する必要がある。

 

今回は、発症前に比べ50%位の観光の予定しか入れませんでした。本当は、孫悟空が閉じ込められたという五行山や、近郊のフエという世界遺産も行きたかったのですが、無理しませんでした。余裕のあるスケジュールで、想定外の事が起こっても対応できて、よかったです。

b. 食事関係の事前調査が重要

スーパーや、食べられそうなレストランの場所を事前に調べておくのは重要だと思いました。ホテル選びの際、観光に便利な場所より、食事の調達がしやすい場所の方がより便利と感じました。

c. 食の多様性に慣れている都市だと楽

ダナン・ホイアンについては、レストランでアレルギー対応してもらいやすく、東京より外食しやすい環境だと思いました。旅行をする際は、食の多様性に慣れていて、ビーガンレストランなどが多い都市を選べば、旅行とアレルギーを両立しやすいな、と思いました。

 

8日間でしたが、発症前と全く違った視点で、違ったスタイルの旅で、いろいろな経験ができました。 

 

ミーソン遺跡やチャム彫刻美術館でシヴァ神(再生、破壊の神)を見て、自分のアレルギーや免疫のことを考えさせられた。何が原因か分からないけど、シヴァ神の怒りをかい、突然、体内の免疫システムが破壊され、アナフィラキシーが起こって炎上、みたいに感じる。普通の食事ができなくなった私の体も、破壊の後には、再生があるのだろうか。

 

ミーソン遺跡が、様々な困難を乗り越えて、今平和な状態にあるのを見て、私の体もそんな風になってくれるといいなと思った。

 

また旅をしたいと思います。アレルギー持ちになっての初の海外旅、ちょっと新しい人間になって旅したような新鮮さを感じました。

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